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関根デッカオ's 不肖動静

筆者の頭部に、大きさなりのはたらきを見せてもらおうという試みです。

巨乳最高再考

随筆 猥談

 もうだいぶ以前から、度が過ぎる巨乳に関して重大な疑念を抱いている。それはすなわち、手に収まりきらぬほどの乳房というのは、物体としてのみならず、その実態さえも捕捉できぬのではあるまいかというようなことである。

 

  話はごくごく単純だ。要するに、どどんと眼前に現れたるそれは、差し伸べた五指の間より断りもなしにあふれ出すだろうから、つかもうにもつかみきれない。 片手でもって片方の乳房をむんずと握り、もう一方の手を用いてハミ肉なるものをどうにかしようとしたところで、どうにもなるはずはないし、代弁者としてジャイアント馬場に出動を要請することもかなわない。何よりそんなことをしたところで、無粋の極みでしかないのである。この体たらくで、やたらな巨乳のすべてについて了解したなどと言うことができようか。判断材料が圧倒的に不足しているのではないか。少なくとも僕には、曲芸的な発言であるとしか思えないのである。

 

 視覚的な話に限定すれば、いくらか論調も違ってくるのだろうが、そこに終始しているようでは、生育に生育を重ねた乳房に礼儀を尽くすことはできないだろう。あくまで空間に位置を占めるものとして、しっかりとその尊厳の死守を試みるからこそ、一切のもれなく味わい尽くそうとするからこそ、問題は生ずるのである。巨乳好きを公言するにあたり、責任をまっとうせんとするならば、単に対象を手に余るものに留めておくことは、断じて許されるものではないはずだ。いや、きっとそうだろう。そのように堅く信じている。

 

 以上のように感ずる次第であるから、僕は手放しでデカ乳礼賛の方面に疾駆することができない。世に言うところのスレンダー巨乳ともなると、上下のバランスをが瓦解しているように見えて、余計に混乱を来たしてしまう。目の前の現実と手塚マンガとの境界線を、どこに設定すべきか分からなくなるのであろう。だからこそ、現実味あるボディラインに心惹かれるのだと思う。

 

 最後にひとつだけ、断っておかねばなるまい。ここまでの内容は、実体験に即して記されたものではない。ごめんなさい。