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関根デッカオ's 不肖動静

筆者の頭部に、大きさなりのはたらきを見せてもらおうという試みです。

無音の日々

随筆

 どうにも最近、音楽の話ができなくなったような気がする。何か適当なアルバムを聴かされ、感想を求められたところで、ろくな言葉が出てこない。もともと、うわっつらをすくい取るような聴取態度しか取ってこなかったし、英詞はおろか日本語詞の意味するところにさえ、ろくに理解を及ぼそうとした経験もなかったわけだから、それも無理からぬ話なのかもしれない。

 

 もはや状況に応じて音楽を選ぶというようなことすらしなくなってしまった。チルタイムなどないのだ。携帯されない携帯音楽プレーヤーは堂々無用の長物と化し、在宅時も無音で過ごすことが多い。曲がりなりにもかつて音楽をつくる側であったはずなのに、この現況はなかなかにすさまじいものがあるように思う。

 

 人と会い、音楽が話題にのぼる。口をつぐみ、おつむのうちに断片化した知識をかき集めるうち、なるほど僕は会話への参加について適格条件を欠いているのだという結論に至る。大手を振って音楽好きを名乗れる人との間には、明確なギャップを感じずにいられない。彼らの何がすごいかというと、好き嫌いを別にできてしまうところである。具体的な評価は保留するにしても、昨今、チャートをにぎわしているような音楽にまで精通するなどしているわけだ。実に勉強熱心であると言わざるをえない。

 

 そもそもの話をするならば、嗜好品たるところの音楽など、別に聴かずとも何のことはないのだけれど、5年前、10年前のことを考えると、やはり気味が悪い。界隈の人が好んで用いる言葉を援用するならば、掘ることもしなくなったし、暑苦しい推薦の弁を垂れることもなくなった。他にこれといった楽しみができたわけでもないのに、何のゆえんがあって現在の状態に至ったのか。考える限り、心当たりはない。