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関根デッカオ's 不肖動静

筆者の頭部に、大きさなりのはたらきを見せてもらおうという試みです。

昼間照明慨嘆

随筆 文句

 日没を待たずに室内照明を灯すことが、どうにも好きになれない。蛍光灯であろうが、LEDであろうが、てんで関係ない。光源のいかんを問わず、そんなふうに思えるのである。日のあるうちは、願わくば自然光だけでどうにかしたい。

 

 思い返せば、小学校時代から同様の念を抱いていたような気がする。全校児童の誰よりも早く校門をくぐることを是としたあの頃、遅れてやってきた連中が、さも当たり前とでも言わんばかりに照明のスイッチに手をかけることに関し、僕はすでに並々ならぬ嫌悪感を抱いていた。登校の先達に対する無礼とは考えないのか。窓外より差し込む日の光だけでじゅうぶん手元の文字が確認できるというのに、それ以上何を求めるというのか。身のほど知らずの贅沢は、慎むべきではあるまいか。穏やかな光が満たす空間をしっちゃかめっちゃかにしておいて、悪趣味にもほどがあるのではないか。ともかくも、まったく合点がいかなかったのである。

 

 照明の点灯をもって、強制的にオフからオンへの厳然たる切り替えをされているような気を起こしてしまっていたのかもしれない。なんとはなしにうやむやにしておきたい部分を、こちらの許しも得ぬままに爛々たる光のもとにさらし、オンの側へと引きずり出すことについては、いまも変わらず前向きな感情を持てない。下世話なマネはよしてほしい。視力低下への懸念など、二の次、三の次なのである。

 

 時折、白昼の阪急電車に乗ると、車掌の気まぐれか車内照明が消灯されていることがある。素晴らしいことだと思う。当然ながらJRなり、モノレールなりの高架下を通過すれば、向かいの座席に腰かけた人の顔面が、手にしたスマートフォンの灯りにぼんやり間抜けに照らし出される。僕が望むのは、そういう世界なのである。