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関根デッカオ's 不肖動静

筆者の頭部に、大きさなりのはたらきを見せてもらおうという試みです。

許されない人

随筆

 ごく当たり前の話をさせてほしい。労働は、疲れる営みであると。こんなことを言うと、どこからか「いや、みんな疲れていますよ」というような横やりが入りそうな気もする。確かにそうなのだろう。だけれど、現に疲れてしまっている以上、「疲れていません!ビンビン!」などと軽口を叩くことは、責任放棄もはなはだしいから、僕にはできないのである。無論、疲労の度合いをめいめい披露し、それでもって白黒つけようというような試みが、いかに馬鹿げているかということに関しても、それなりに理解しているつもりでいる。

 

 体力の欠如を感じる。労働そのものはもちろんのこと、退勤後のあれやこれやだって同様に、体力なしには成立しえない。帰宅して、その日のうちに入浴することが困難になった。夜の街へ飲みに繰り出そうにも、持久力がない。もっとも、お酒については元来強くはないのだけれど、それに輪をかけるかのごとくダメになってしまうのである。先だっても、一見で入った店の前で、大の字で寝転がるなどしてしまった。営業妨害およびイメージ低下の咎で出禁を喰らっても、何らの弁解の余地もない。

 

 華金を謳歌できる、というより、そこに活路を見出すよりほかない立場になって、しっかり謳歌できている人がいかに鉄人的であるか、超人的であるか、いやほど思い知らされている。疲労感を抱えながらも、抑圧とカタルシス、この両者を営々と積み重ねられている人がごまんといると思うと、気が遠くなる。みんな仲良く栄典に浴すべきではあるまいか。わりあい本気でそう思うので、関係各位には前向きな検討を要請したい。

 

 曲がりなりにもまともに働くようになって、寝つきだけはよくなった。早朝覚醒も、ずいぶんマシになってきた。これまでは人並みに疲れていなかったから、そういう事情からだろうか。皮肉な話である。が、睡眠時間は延びたにもかかわらず、疲労困憊の状態は起き抜け直後も変わらない。心身ともにバキバキなのである。このような場合、どう対処すればいいのだろう。目下の悩みである。