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関根デッカオ's 不肖動静

筆者の頭部に、大きさなりのはたらきを見せてもらおうという試みです。

脱セルフ悪漢

随筆

 少々のことで悪びれないための鍛錬の必要を、切々と感じる。叱責には到底該当しない、いや、どちらかといえばアドバイスにあたる言葉に対し、執拗なまでにウジウジするようなことは、あってはならないのである。そうしてしまえば、あらゆる行動がとどこおり、自他を問わず、あらゆる方面によろしくない結果をもたらす。分かってはいる。実によろしくないことである。

 

 他人と他人とが接点を持つ以上、伝達したつもりの内容が意図せぬ形で理解されることは、当然に予期するべきであろう。受け手がこちらに変わったとて、同じことである。ここのところを念頭に鎮座させられずにいるばかりに、諸々の支障がジワジワとにじみ出てくるわけだ。そのなかでも特にひどいのが、くだんの悪びれ問題なのである。

 

 悪びれた状態を長引かせるのも、もちろん褒められたものではない。どうせなら好ましいできごとを反芻すればよいところを、あまりそういったことはしていない気がする。もったいないことをする一方で、問題(に値しないであろう事象)に関しては、極大化したうえ、あまつさえ長期化させる。いついつまでも、いつまでも、そしてどこまでも尾を引かせる。ひょっとすると僕は、ヒトになりきれていないのではないかしら。そんな気さえしてくる。

 

 そもそも論を語るなら、自分のことを1番に気にしている人物というのは、自分以外にありえないだろう。それも他に圧倒的大差をつけているとみて、そう間違いはないように思う。この事実に鑑みれば、反省を通り越してあれやこれやを考え、ひとり悶々とするさまは、なんともオナニックである。また同時に滑稽である。一部例外もあろうが、基本的に自慰はおおやけにするような性質のものではなかろう。僕がハアハアする瞬間など、誰にも見せたくはないし、誰も見たくはないはずだ。公然わいせつに手を染めるようなことは、断じてあってはならない。