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関根デッカオ's 不肖動静

筆者の頭部に、大きさなりのはたらきを見せてもらおうという試みです。

憤懣一直線

随筆

 人を評する言葉に「根は真面目」というのがあるけれど、僕はこれがあまり好きではない。というのも、適用できる範囲が広すぎるあまり、単なる便利ワードとして機能しているように思われてならないからだ。また、手放しで褒めることは回避しつつも、条件つきでいちおうの敬意を示しておこうというような意図が透けて見えるようでもあり、なんとも卑怯な印象を覚えるのである。

 

 しかし、悲しいことに僕自身、根は真面目な方だと思う。いや、これ、自分で言うようなことじゃあないですね。おそらくここから先も、自分が真面目であるとの前提のもとに話を進めることになろうから、あらかじめ謝罪しておく。スミマセン、アイスミマセン、マセンマセン…。

 

 強引に話を戻すけれども、真面目がすぎるあまり、色々の弊害が生ずることもしばしばである。なかでも特にひどいものとして、憤懣要因直視問題というのが挙げられる。これはもう読んで字のごとしで、腹立たしい他人の言動等々に幾度となく思いを馳せ、頭のなかでしつこいくらいに反芻を繰り返すも消化不良を起こし、結局は何らの解決策さえ見出せぬままに、ただ憎悪の念が蓄積・膨満していくことをいう。この場では具体例への言及は控えるが、腹を立たせるに際しても、生来の生真面目さが口を出し、本気で腹を立たせてしまうのである。

 

 その間、一切の生産的活動は停止せられ、怒りの方向に全神経を集中させるものだから、他に何か優先すべきことがあっても、そこには目が行き届かなくなる。おつむがマルチタスクに対応していないので、脇目も振らずにイライラ、ムラムラ、プリプリしてしまうのである。そうして気持ちが悪くなる。世に言うアホである。

 

 憤懣の種を直視どころか凝視してきた結果、僕はこれまで相当な時間を無駄にしてきたのではなかろうか。いまでこそ経済的窮地に立たされ、尻に火がついたおかげで、いくらかマシにはなった気もしないではないが、それでもまだまだ不十分なのだと思う。腹立たしい人物、ないしはできごとのために時間を割く自分というのも、また腹立たしい。ここのところに気がついただけでも、御の字としておこうか。

 

 いずれにしたって、もっと忙しくならなければならない。