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関根デッカオ's 不肖動静

筆者の頭部に、大きさなりのはたらきを見せてもらおうという試みです。

エンゲルおじさんにさよなら

随筆

 目下の懸案事項に、実りなきエンゲル係数増大問題というのがある。要は気が滅入ってしまったとき、おどろおどろしい人間模様を目の当たりにしたときなどに、食い気に突っ走ってしまうのである。泣く泣く迂回的表現を排するならば、やけ食いというやつだ(表立って使いたくない言葉を使ってしまった)。思い返せば高校時代までは、20時を回るときっちり絶食していたのに、よくもまあこうも清々しいくらいに堕落したものだなと思う。もっとも当時は、そんな自己統制を敷いたところで顔はパンパカパンだったわけだけれど。

 

 単に大食いというのなら、過剰なエネルギー摂取だったにしても、まだ救いはあろうかと思う。純粋に気持ちの面が欲しているのだろうから。そこへいくと僕の場合は、元々の許容量が乏しいところに詰め込もうとするから、本当に始末が悪い。当然のこと、事後は決まってベッドにうずくまる。心身ともに、重ね重ね参ってしまうのだ。苦しさをなきものにすべくノドの奥をグリグリする度胸さえなく、ここに一切の生産性が削がれるのである。まさに昨晩も、そんな感じであった。日頃、無許可ドカ盛り外食産業を目の敵にし、平気で白飯を残しまくっておきながら、この体たらくでは何らの示しもつかない。事態は改善を見るどころか、余計に悪化するだけなのである。

 

 単価の安いスナック菓子やチョコレートを複数購入するのも、半額を待たずに惣菜を1つ購入するのも、出費の総額にさしたる違いはあるまい。チリも積もれば何とやらである。それぞれの結果に関しては論を待たないわけだし、ここのところをもういっぺん頭に叩き込む必要があると思う。この妙な食習慣を改めないことには、その他諸々の問題についても、好転することはかなわないのではなかろうか。そんな気さえする。

 

 そもそもの原因をただせば、取り立てて打ち込めるものを欠いてしまったがために、代替的に過食へ走ったというふうに考えられなくもない。家に帰ってきて、他にすることがないから、食べる。至極単純な話であるが、わりあいそんなものだから恐ろしい。過食との訣別が先か、過食に代わる時間の使い方を見つけるのが先か。そのいずれかを問うことはしないから、少しでも早い矯正が現実のものとなるよう切に望みたい。そうすれば、少々のやけ食いを犯したとて、エンゲル係数がデデーンと跳ね上がらない程度に、経済状態が上向くこともあるのではないかしら。ものはついでとばかりに。いや、もちろんその暁には、完全にやけ食いから足を洗う所存ではござりますけれども。