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関根デッカオ's 不肖動静

筆者の頭部に、大きさなりのはたらきを見せてもらおうという試みです。

このブログについて

 人間は本質的にひとりというような言説に関して、おおむね異論はない。自己の認識は、なるほどそれこそすべてというよりほかないわけだし、僕はそれ以上のことに関して、何ら証明する術を持たない。

 

 にもかかわらず、なのである。自己の認識のうちにある欲求を、抑え込もうという試みは、なかなかどうして困難を極めるのである。これは大いなる問題だ。内々に留めておけばよいものを、発露させたくなってしまう。結果、その実在を自ら証明できない現象、すなわち他者の存在を妄信し、彼らの反応を求めてしまう。我に返ったとき、悲しくなるのは重々分かっているのに。

 

 ひとりでいる限りにおいて(便宜的な言い方をした)、その考えをムラムラと肥やしていくことに制約はない。際限もなしに考えを飛躍させてしまうことができる。それはそれで実によろしいことと思うが、そこに執心しているようでは身がもたないことも、経験的に知ってしまった。事実いま、僕はそのために気分が優れない。最悪の心持ちだといってよい。

 

 現況を放置していては、きっとろくでもない結末を回避することはできまい。いつか本当の限界が訪れるのは、目に見えたことだ。それではさすがにまずい。だから、僕はここに思ったこと、感じたことを書き留めておこうと考えた。オープンなものにしておくことで、ある種の救いが得られれば僥倖だ。たとえかりそめのものでもよい。

 

 この場に限っては、少なくとも我に返るようなことはせず、妙な恥じらいも放棄して、胸のうち、ひいては単なる身の回りのできごとさえもおおっぴらにできれば−そんなふうに思っている。